川上洋平さんは[Alexandros](旧[Champagne])としてインディーズデビューする以前は、会社員として働きながら音楽活動をされていたことはファンの間では有名な話かと思います。
その会社について調べてみると、電通や博報堂といった大手企業の名前が出てきました。
川上洋平さんってもしかしてこれらの会社に勤めていたのでしょうか?
そこで今回は、川上洋平さんは電通や博報堂の会社員だったのかどうかについて調査しました!
また、川上洋平さんがご卒業された大学や英語力も凄いとのことでしたので、その点についても調査しました。
それではどうぞ!
この記事は4分程度で読める内容です。
Contents
川上洋平は電通、博報堂の会社員だった!?
川上洋平は広告代理店の営業だった
川上洋平さんは冒頭でもお話した通り、インディーズデビューする前までは会社員として働いていました。
しかも広告代理店の営業をしていたのだとか!
その会社は大学時代のバイト先だったそうで、「来年ここに入りたい!」とアピールして入社したそうですよ。
俺は、正式なインターンシップっていう訳でもないんですけど、ある某広告代理店さんでバイトしてました。
そこで“僕、来年就活するんですけど、ぜひここに入りたいと思っています!”みたいな事をアピールしましたね。
引用元:https://news.livedoor.com/article/detail/11535987/
なんという策士なんでしょう!!
しかし川上さん自身は一生そこで働くつもりは毛頭なかったようで、「歌手デビューしたら辞める」と最初から考えてその会社に就職したとのこと。
そもそも正社員を選んだのはバンドを続ける、デビューを目指し続ける為だったからだしね。
だから
「よくバンドの為に会社員を辞める決意がつきましたね」
と言われるけど、元々デビューが決まればすぐ辞めるつもりで入ったのだ。
会社には申し訳ない事はしてしまったけどね。
引用元:https://ameblo.jp/chamhibi5/entry-11104416684.html
理想は大学在学中にデビューしたかったそうですが、その夢は残念ながら叶いませんでした。
でもバンドでデビューするという夢は諦めたくなかった為、「会社員として暮らしながらデビューを目指すか、それともフリーターとしてデビューを目指すか」をメンバーとともに考えたそうです。
会社員もフリーターもどちらもメリットとデメリットがあります。
会社員は収入面で安定しているけれど拘束時間が長い。
フリーターは時間の融通は効くけれども収入は不安定。
メンバーで話し合いを重ねた結果出た答えは「会社員をしながらバンドデビューを目指す」ということでした。
なぜなら
「いつデビュー出来るか分からないから」
会社員として働くとなると音楽活動の時間は限られますが、その分社会的地位も収入面も不安になる必要はありません。
また、メンバー全員が「50歳になってもデモテープを送れるか?」という問いに「出来る」と答えられたことも会社員(正社員)になる決め手だったようです。
さらに川上さんについては、アジカンやビークルのインタビュー記事を読んで自分を鼓舞していたそうですよ。
アジカンもビークルもサラリーマンをしながらバンドデビューを目指していた方々で、[Alexandros]にとっては色々な意味で先輩だったわけです。
特にビークルのボーカルである、ヒダカトオルさんが言っていた
「サラリーマンをやっているからバンドがおろそかになるというのは言い訳。どっちもしっかりやっていた。」
という言葉に感銘を受けたそうで、さらに頑張る気力をもらっていたようですよ。
そして[Alexandros]のメンバーは3年もの間、会社員をしながら休日や夜中にバンド活動をおこない、デモテープを送りまくって見事インディーズデビュー、そしてメジャーデビューを果たすのでした。
川上洋平は電通と博報堂のどちらに勤めていた?
川上洋平さんは広告代理店で営業をされていたとのことでしたが、調べてみると「電通」や「博報堂」といった大手広告代理店の名前が出てきました。
川上さんは電通や博報堂に就職されていたのでしょうか?
さらに調査してみましたが、それらしい情報を見つけることが出来ませんでした。
もしかすると「広告代理店で営業をしていた」ということから“電通や博報堂にいたのでは?”と思った方々が検索しただけだったのかもしれません。
川上さんご本人も企業名まではお話されていないようですので本当のところは分かりませんが、川上さんの生い立ちや学歴がなかなか凄かったので、それらの情報から勝手に電通と博報堂のどちら(もしくはそれ以外?)に勤めていたのか予想してみようと思います!
生い立ちは知っているから予想だけ知りたいよ!という方は最後の「まとめ」をご覧ください。
生い立ちや学歴も知りたいよ!という方はこのまま下へ読み進めていってくださいね。
川上洋平の生い立ちは?帰国子女で英語力が凄い?!
川上洋平はシリアからの帰国子女で父は商社マン!
川上洋平さんは神奈川県川崎市で生まれた後、9歳から14歳までシリアで暮らしていました。
今でこそシリアは日本の外務省から渡航しないよう警告される程の危険地域となっていますが、川上さんが生活していた1990年代は比較的平和な国だったようです。
どうして川上さんはシリアに住んでいたのかという点についてですが、なんとお父さんが商社マンで転勤について行ったからだそう!
父は商社マンだった(もう退職している)ため、仕事で世界各地を回っていた。
引用元:https://www.mensnonno.jp/special/alexandros/2017/10/25/255/?shm-vp=2
川上さんには10歳離れたお兄さんと年齢差は不明のお姉さんがいます。
お兄さんは川上さんがシリアに行く時にGuns N’RosesのCDを渡しながら「外人にナメられんじゃねぇ!」と励まし(?)、お姉さんはミスチルのCDやダウンタウンのビデオを送ってくれていたそうです。
このエピソードから、お兄さんとお姉さんは日本に残ったことが推測出来ますね。
当時のお兄さんの年齢は19歳、お姉さんは分かりませんが10代半ばから後半だと仮定すると、それぞれ大学だったり受験生だったりでシリアに行くことが難しかったのかもしれません。
川上洋平の英語は中東訛り
川上さんはシリアに引っ越した後、ナショナルスクールに通われていました。
現在川上さんが英語が堪能なのは、ナショナルスクールに通われていたからかもしれませんね。
ただ、川上さんの英語は中東訛りなのだそう。
中東訛りとは一体どんな感じなのか、川上さんが英語で話されている映像を見て確認してみましょう。
いかがですか?
私は正直訛っているのかどうか分かりませんでした。(笑)
一部ネット上では「中東訛りで英語が下手」なんて言われているようですが、映像を見た限りではインタビュアーとも意思疎通出来ているように見えます。
仮に訛っていたとしても、日本でいう方言やイントネーションの違い程度ということですよね。
東北人が訛っていたり、関西人が関西弁で話していたりしても「日本語が下手だ」とはならないはず。
川上さんも何の滞りもなく受け答え出来ている様子を見ると、きっと英語圏の方々も川上さんの英語は下手だとは思っていないのではないでしょうか。
川上洋平は中学時代いじめられていた
シリアから帰国した川上さんは転校先のクラスメイトからいじめに遭っていたそうです。
小学3年生から中学2年生までシリアで育った川上さんは自分の意見をはっきり言う男の子に成長していました。
自分の意見をきちんと言えるというのはとても大切なことですが、小学生とか中学生って周りの意見に合わせることを良しとする空気感がありますよね。
良く言えば“協調性”とも言えますが、そういった環境に突然知らない同い年の男の子がやってきてガンガン自己主張してきたとなると、周りはどうしても“異様な存在”と認知して排除しようと動くのかもしれません。
僕の場合は中3で海外から帰ってきて、帰国子女っていう物珍しさとか、あとこういう性格なので(笑)、それが鼻についたのか……バッコリいじめられましたね。
でも最終的には、“ざけんじゃねぇ!”って、いろいろやり返しもしたかもしれない……(笑)。
引用元:https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoFm_FWemMeRavC/
それでも川上さんは負けるどころかやり返したそう。(笑)
これくらい強くなきゃ人生やっていけないですよね。(笑)
川上洋平の高校は?
川上さんは中学卒業後、神奈川県立弥栄西高校に進学しました。
引用元:http://www.kaneko-arch.com/1984/education/388/
ここで[Alexandros]のメンバーである白井眞輝さん、庄村聡泰さんと出会います。
ボーカルの川上、ギターの白井眞輝、ドラムの庄村聡泰は地元・弥栄西高校出身。
庄村は川上と白井の1つ後輩にあたる。
実は今も活動している軽音部を発足させたのは白井の代で、高校1年のときだという。
引用元:https://www.townnews.co.jp/0301/2018/01/01/412842.html
なんと今も存在している軽音楽部は白井さんの代が高校1年生の時に発足したのだそう!
川上さんは軽音楽部に入りはしませんでしたが、白井さんとイギリスのロックバンド“Oasis”のコピーバンドを組んで文化祭で披露していたのだそうですよ。
中学時代とは打って変わってとても充実した高校生活を送っていたようですね。
川上洋平の大学は青学
川上さんは高校卒業後、青山学院大学法学部に進学しました。
引用元:https://up-j.shigaku.go.jp/school/category01/00000000259101000.html
ご両親には「将来は商社マンになりたい」と言って進学したようですが、実際の志望理由は「青学にはミュージシャンやバンドが多いから」だったそう。(笑)
たしかに槇原敬之さんや桑田佳祐さんも青学出身ですもんね。
そんな川上さんは青学を卒業するのに6年かかったそうです。
留年した時にはお父さんにがっつり怒られたようで、その年のお正月は帰省しなかったのだとか。(笑)
川上家族は毎年1月1日は必ず両親が住む実家に集まる。
兄家族、姉家族も姪っ子も含めて全員集合。
集合時間は朝の9時、とさっきまで歌って踊ってとっ散らかっていた身としては少々つらい時間帯だ。
しかしながら1年の始まりを親族とともに祝うという行事は子どもの頃から毎年欠かさず参加している(一度だけ大学を留年した年に父親にこっぴどく怒られて参加しなかったことがあった)。
引用元:https://www.mensnonno.jp/special/alexandros/2018/02/20/381/?shm-vp=2
大学在学中にバンドデビューするという思いがあったことから、学業よりも音楽活動を優先していたのかもしれませんね。
まとめ〜川上洋平は電通、博報堂のどちらに勤めていた?〜
・川上洋平は9歳から14歳までシリアに住んでいて英語が堪能
・帰国後クラスメイトからいじめられたが、やり返したこともあった
・高校は神奈川県立弥栄西高校に進学、白井眞輝さん、庄村聡泰さんと出会う
・大学は青山学院大学法学部に進学、両親には「商社マンになりたい」と言っていたが本当の志望理由は「ミュージシャンが多いから」
・青学は6年かけて卒業した。留年した時はお父さんに怒られ、その年のお正月は帰省しなかった。
こうして見るとなかなかおもしろい経験をされてきていますよね。
博報堂も電通も広告代理店ということで常に新しいものを生み出している企業です。
新しいものを生み出す為には、物事をあらゆる角度から見て発想出来る人が求められると思います。
また、博報堂に関しては「粒ぞろいより粒違い」の文化があるそう。
つまり、様々な価値観や個性を持った人が大勢いるということですね。
その点からいくと、川上さんの経歴だったり音楽活動をずっと続けてきたりといった点は個性の1つとして活かせそうですよね。
川上さんは後の就職先となる企業でバイトをしてアピールしていた過去があります。
博報堂と電通、それぞれバイトを募集しているのか確認したところ、博報堂については分かりませんでしたが、電通についてはグループ会社のみバイト募集していることが分かりました。
仮に博報堂もグループ会社のみバイト募集していたと考えると、川上さんは本社ではなくグループ会社に就職したと考えられそうです。
また青山学院大学の就職先を確認したところ、電通、博報堂ともに就職している人がおり、人数も同程度でした。
以上のことから考えると、川上洋平さんの就職先を特定することはやはり出来ませんでしたが、電通や博報堂の本社ではなくグループ会社もしくはもう少し小さい会社に就職したということは推測出来そうです。