神田沙也加さんが村田充さんと離婚されたことを発表されましたね。
原因は子どもが欲しいかどうかについて意見が別れてしまったとのことでしたが、どうやら神田沙也加さんの方がお子さんを望まなかったようです。
報道を知った一般人のコメントを見ると、どうやら母との親子関係が原因のようなのですが、母である松田聖子さんは一体どのような子育てをされてきたのでしょうか。
そこで今回は、松田聖子さんが娘・神田沙也加さんにおこなった子育てについてまとめました。
それではどうぞ!
この記事は3分程度で読める内容です。
松田聖子はどんな子育てをしたの?
「表向きには仲よし親子の印象が強いですが、聖子は沙也加を出産した半年後には芸能界へ復帰し、実質、子育てを担当したのは、同居する聖子の母でした。しかも聖子が無謀な全米進出をもくろむのと並行して、年下外国人とのスキャンダルがたびたび報じられた。
当時、幼稚園に通っていた沙也加は、母親の醜聞が報じられるたびに『聖子の娘!』とイジメを受け、引きこもりになっていた時期もあった。本人もデビュー後に、自著の中で『学校を4回も転校しなければいけなかった』という苦しい胸のうちを明かしています」
引用元:https://www.asagei.com/excerpt/80534
芸能人が出産後半年で復帰したというのはそこまで変な話ではないように感じます。
人気のある歌手や役者、タレントは「少しでも早いうちに復帰して迷惑をかけないようにしよう」、「世間から忘れられないうちに早く復帰しなければ」と思うでしょうし。
ただ、親のスキャンダルはキツいものがありますよね。
当然ショックも受けるでしょうし、母親のせいで自分がイジメられることになるのだって屈辱だと思います。
米進出の夢も抱いていた聖子にとって、子育ては後回しになりがち。“ネグレクト”とまでは言いませんが、沙也加が母親の愛に飢えていたのは想像に難くない。
しかも聖子は97年1月に正輝と離婚後、翌年の5月には再婚。2000年12月に離婚し、12年に再々婚。その間も数々のスキャンダルがありました。
2度も新しい父親を迎えることになった沙也加をずっと支えたのが父親の正輝でした
引用元:https://www.excite.co.jp/news/article/Asajo_28562/
松田聖子さんもおそらく、仕事と子育ての両立に苦労したのだと思います。
娘のことも大事だけれど、自分の夢も捨てたくない…。そんな葛藤があったのではないでしょうか。
そして葛藤の末、松田聖子さんは”自分の夢の実現”に重きを置いたのだと思います。
その事自体は決して間違っているとは思いませんが、それに加えてプライベートまで自分の道を走りすぎてしまった感はありますよね。
上記の記事を読んだ限りでは、どうしても娘のことを思っているようには思えない行動に見えてしまいます。
また、松田聖子さんがアメリカ進出に燃えていた時の神田沙也加さんは中学生であり、本来通うはずであった中学校には母は撮影、継父(歯科医)は大学に通うためにアメリカへ飛び立ったため通えなくなったそうです。
一人日本に残った沙也加さんは別の中学校で寮生活を送ることになりましたが、母が松田聖子であるという理由で壮絶なイジメに遭ったため、両親のいるアメリカに引っ越したそうな。
これで落ち着くかと思いきや、アメリカでは母が多忙で家を留守にしがちの状態、継父とずっと2人で過ごすのにも気詰まりでまた日本に戻ってくることになったのだとか。
中学生なんて多感な時期ですし、継父とはいえ沙也加さんにとっては”赤の他人状態”でしょうから、相当苦しい時期だったと思います。
神田沙也加さんも、自身の著書で「中学校は辛いことしかなかった」と記載しています。
《中学校は正直辛いことしかなかったです。結局4回転校を繰り返しました。最初は高校までエスカレーター式の学校に通う予定だったんです。でも入学ギリギリになって、親が海外を拠点として仕事をすることになって……》(『Dolly girl』より)
引用元:https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1611550/
神田沙也加さんが祖母である一子さんと父である正輝さんとは今も仲がよく、母である松田聖子さんとは絶縁状態であるという理由が、少し分かった気がします。
神田沙也加の父・神田正輝は何をしていたの?
松田聖子さんと神田正輝さんの離婚後、松田聖子さんが沙也加さんの親権を持っていたとのことですが、今までの話を読んだ限り、どう考えても当時の松田聖子さんに子育ては無理でしたよね。
実際、神田沙也加さんの面倒は松田聖子さんのご両親(沙也加さんの祖父母)が見ていたそうですが、実の父である神田正輝さんはその時何をされていたのでしょう。
「沙也加は聖子の両親と同居していましたが、聖子が渡米するたびに面倒を見ていたのは神田でした。
40代の男盛りだったのに、仕事が終わるとまっすぐ沙也加のもとへ行き、彼女が寝るまでつきっきりでした。
スキャンダルまみれの聖子を母に持ちながら、沙也加がまっすぐ育ったのは、父親の愛あってこそなんです」
引用元:http://asagei.com/excerpt/31624
ずっと沙也加さんのことを支えていたのですね。
だから現在も父と娘の関係は良好なんですね。
当時、沙也加さんの親権が神田正輝さんにあったら…とつい考えてしまうエピソードですね。
神田沙也加の離婚理由は自身が子どもを望まなかったから?
冒頭でもお伝えした通り、神田沙也加さんは俳優の村田充さんと離婚されました。
2017年4月にご結婚されましたので、2年半ちょっとの結婚生活だったということになります。
離婚理由については、双方の文章を読んだ限りだと、村田充さんが子どもを望んだのに対し沙也加さんが消極的だったことが最大の理由だったように見えます。
↓神田沙也加さんのコメント
結婚以来、子供のことについてずっと話し合ってまいりましたが、折り合う答えを見つけることが出来ませんでした。
何度も歩み寄りを試みましたが、わたしは生きてきた環境の中で持った考えを変えられず、彼を幸せにすることが出来ないと思いました。
その結果、別々の人生を歩むという結論に至りました。引用元:https://www.oricon.co.jp/news/2150190/full/
↓村田充さんのコメント
私、村田充と神田沙也加さんは、結婚以来継続してきた夫婦の在り方について、
子どもが欲しかった私と、前向きになれなかった彼女とで折り合いがつかず、互いを尊重し、前を向いてそれぞれの人生を歩むという結論に至り、今年の夏、二人で円満に離婚届を作成し、離婚に双方合意をいたしました。引用元:https://www.oricon.co.jp/news/2150190/full/
神田沙也加さんの「わたしは生きてきた環境の中で持った考えを変えられず」といったところが印象的ですね。
自分と同じ苦労や苦しみは味わせたくないといった気持ちが隠れているように思います。
もしかしたら、「今の私に子育ては出来ない」と思ってしまっている可能性もあるかもしれません。
なんだか、この文章を読んでいると、松田聖子さんが神田沙也加さんに与えた代償は想像以上に大きいものだったように思えて仕方ありません。
どうか、神田沙也加さんが幸せな道を歩んでいけるよう願っております。