岡田健史の高校は創成館で社会人野球を目指してた?彼女の噂は?

日本的で端正な顔立ち、凛とした佇まい、そしてデビュー作で準主演を務めたことでも話題となった若手俳優、岡田健史さん。

高校生の頃から演技力の高さが評判だったようですが、実は高校は野球の特待生として入学しており、将来は「プロ野球選手になりたい」と考えていたようです。

一部では「社会人野球も視野に入れていた」という話もあるようですが、どのような経緯で俳優の道へと進んだのでしょうか?

 

そこで今回は、岡田健史さんの俳優になったきっかけについて調査しました!また、岡田さんが「中学聖日記」に出演した際に元カノらしき人物がSNSで匂わせ発言をしていたという情報も見つけましたので、そちらについても確認しました。

それではどうぞ!

この記事は4分程度で読める内容です。

 

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岡田健史は創成館高校出身で甲子園出場も!

 

岡田健史さんは野球の強豪校である創成館高校出身です。

引用元:https://japaneseclass.jp

 

創成館高校は令和2年の春に開催予定であった高校選抜野球がコロナの影響で中止になったことを受け、

「春の忘れ物は夏、取りに行きます。暖かいご声援ありがとうございます」

という文言が書かれた看板を掲示し、高校野球ファンを沸かせた学校でもあります。

 

野球の特待生として同校に進学した岡田健史さんのポジションはキャッチャーで、3年時には部員約120人を束ねる副キャプテンとしても活躍されたそうです。

 

このかっこよさで副キャプテン…もうモテる要素しか持っていない…

野球は小学2年生から始め、高校は寮生活を送りながら朝から晩まで、授業時間を除きずっと野球漬けの日々だったそう。

「雨が降ろうと槍が降ろうと毎日練習。朝5時起床で朝練、7時に点呼、散歩、朝食。8時に登校して授業を受けて、16時の終業後は20分でグラウンドへ。それから21時くらいまで練習。野球部の寮に監督とコーチも一緒に住んでいるので、完全に野球に集中できる環境でした」

引用元:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65124?page=3

 

強豪校って、やっぱり強豪といわれるだけの努力をしているものなのですね…。

そして岡田さんは100人超えの部員を束ねる副キャプテンでもあったということですから、それだけ監督やコーチ、部員からの人望も厚く、真面目な性格だったのだろうと思われます。

 

甲子園については岡田さんが1年生のときは出場しましたが2、3年生の時には惜しくも出場の切符を逃しています。

また、1年生の時は岡田さんはベンチ入りしていなかったため、岡田健史さん自身は甲子園出場を果たせていないことになります。

特待生として入学したのに恩を返せなかったと、学校や保護者に対して申し訳なく思っていたそうですよ。

 

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岡田健史は社会人野球を目指していた?

 

小学生までは「プロ野球選手になりたい」と思っていた岡田さん。

しかし、中学・高校と進むにつれ自分の実力や周囲とのレベルの差、そしてプロのレベルの高さを実感するようになり、「プロの道に進もうとすることは現実的ではないかもしれない」と思うようになったのだとか。

でも自分には野球しか出来ることがないし、何より野球が好きだということで、「野球に携われる仕事で生きていこう」と考えるようになったのだそうです。

「大学に進んで、また違うレベルのところで野球をやり直そう。そして将来は、なんでもいいから野球に携わる仕事に就こう」

引用元:https://www.vivi.tv/post32905/

 

高校生までは大学に進学することを考えていたようですね。また、社会人野球という選択も視野に入っていたようです。

小学2年から野球に打ち込んでおり、高校も長崎の強豪校に進学。

いずれ社会人野球で、というビジョンも持っていて

引用元:https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201808200000079.html?Page=2

 

そんな岡田健史さんがなぜ俳優の道へ進むこととなったのか?

それは野球部引退後に校長先生から声をかけられたことが全ての始まりでした。

 

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岡田健史が俳優になったキッカケは、演劇部の助っ人として役を演じたこと

 

野球部を引退した岡田さんは、大学進学までの間に色々な経験をしておこうと思っていました。

その頃はバレーやバスケといった野球以外のものが楽しいと思えている時期でもあったそうです。

そんな時、校長先生から「演劇をしてみないか?」と声をかけられます。

というのも、演劇部の先生が「部員の中では役にハマる子がいない」と部員以外で適当な演者を探していたそうなのです。

野球で特待生として入学したのに甲子園へ出場出来なかったという思いがあった岡田さんは、「演劇部の助っ人をすることで学校に恩返しすることが出来れば」と快く引き受けます。

 

さて、「演劇部員ではハマる子がいない」と言われた役とは、一体どんなものだったのか…?

それは、特攻隊へ出征する青年でした。

 

作品の舞台は長崎原爆が投下される約1時間前のとある一般家庭です。

この家に住んでいる従姉妹に出征の報告をしにやってきたのが、岡田健史さん演じる青年です。

岡田さんの日本的な顔立ちや体格の良さ、そして坊主頭の姿は、これから戦地へと赴く健康的な男子の条件を全て兼ね備えているように見えます。

校長先生もそのように感じて岡田さんに声をかけたのかもしれませんね。

 

岡田さんが出演したこの作品は地区大会、県大会と順調に進んでいき、九州大会では最優秀賞を獲得、全国大会への切符を手にしました。

引用元:https://morimasa0827.com/5599

 

全国大会は翌年に開催されたため岡田さんは九州大会までしか出演出来ませんでしたが、大会審査員らから名指しで演技を評価され、演劇部の先生からも「名指しで評価される子はめずらしい」と言われたそうです。

演技をすることの楽しさや快感、そして自分の演技が評価されたことで自信がつき、ここから俳優を志すようになったのだそうですよ。

 

ちなみに高校卒業時、校長先生は岡田さんに対して「お前がこの世界(俳優)に入ったキッカケの一つは俺だから、失敗したら連絡してこい。ちゃんと面倒をみてやる。」と伝えたのだとか。

卒業する前に校長先生が、『お前がこの世界に入ったキッカケのひとつは俺だから、失敗したら連絡して来い。ちゃんと面倒をみてやる』って言ってくれました

引用元:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65124?page=4

 

この校長先生は荒れて経営難に陥っていた創成館高校を立て直し、人気校へと築き上げた有名な方なのだそうです。

どこまでもカッコいい先生と出会ったのですね!

 

また、岡田さんの所属事務所であるスパイスパワーは、岡田さんが中学1年生の時にすでに岡田さんをスカウトしており、以降毎年社長が岡田さんの家まで行ってラブコールを送り続けていたそうです。

岡田健史さんは俳優になるべくしてなったといっても過言ではないように思えてきますね!

 

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岡田健史に彼女はいるの?

 

最後に、岡田健史さんと彼女の噂について調査しました。

いまのところは彼女の話は出てきていないようです。

仕事が楽しかったり集中していたりする時期なのかもしれませんね!

 

また、中学聖日記に出演していた時期には、岡田さんの元カノと思われる人物が「昔付き合っていた人が有村架純の相手役とか意味がわからない」といった投稿をSNSにしていたようです。

ただ、この投稿をした方が本当に元カノだったのかは不明です。

そして投稿そのものも見つけることが出来なかった為、もしかするとこの情報自体が捏造なのかもしれません。

 

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか!

今年も多くのドラマや映画に出演予定の岡田健史さん。

今まで以上に岡田さんを目にする機会が増えるかもしれないと思うとワクワクしますね!

 

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2020年3月13日

 

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