マラソン日本代表中村匠吾の中学高校、大学は?大八木監督との絆が泣ける!

MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)で見事優勝を果たし東京オリンピックマラソン日本代表の座を勝ち取った中村匠吾選手。

マラソン4強といわれる選手達を退いての優勝とあり、かなり話題になっていますね。

もしかしたらMGCの優勝で初めて中村匠吾の名を聞いたという方もいるかもしれません。

 

そこで今回は、マラソン男子日本代表の中村匠吾選手について調査しました!

中村選手が卒業された中学や高校、大学、そして大八木監督との出会いや絆についてもまとめました!

それではどうぞ!

この記事は4分程度で読める内容です。

 

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マラソン日本代表・中村匠吾の中学高校、大学は?

プロフィール

まずは中村選手の基本情報からご紹介します。

引用元:https://www.bbm-japan.com/trackandfield/17302892

 

名前:中村匠吾(なかむら しょうご)

生年月日:1992年9月16日(27歳)※2019年9月現在

出身地:三重県四日市市

身長:172cm

体重:55kg

所属:富士通陸上競技部

 

中村選手は小学5年生の3学期から四日市市内にある内部(うつべ)陸上少年団に通い始めます。

当時から優しい子だったようですが負けず嫌いな一面もあり、実力は小学生の駅伝大会で区間賞を獲るほどだったとか。

 

入団当初の印象を「めちゃくちゃ優しい子だったが、負けず嫌いを内に秘めていた」と振り返る。

練習では一切手を抜かず、頭角を現すまでに時間はかからなかった。小学生の駅伝大会では区間賞の活躍。「抜群に速かった」

引用元:https://www.chunichi.co.jp/article/mie/20190916/CK2019091602000039.html

 

しろくま
当時から努力家だったのですね。

 

中学校では陸上部に所属、監督がストップをかけるまでひたすら練習をするくらい真面目だったそうです。

また、中村選手には小学生の頃から勝てなかった同級生がいたそうですが、圧倒的な練習量やセンスにより中学2年の夏には力関係が逆転、中学3年時には県大会の3000mで優勝するほどまで成長したそうです。

 

そして高校では2010年の沖縄インターハイ5000mで3位入賞、大学では2013年関東インカレ2部10000mで優勝、大学3大駅伝(出雲、全日本、箱根)全てで区間賞を獲得するなど、数多くの成績を残しました。

ちなみに大学4年時にはチームの主将を務めたり、大学内陸上部人気1位に輝いたりするなど、実力だけでなく人柄でも圧倒的な信頼を得ていました。

 

しろくま
実力も信頼もあるなんて本当に凄いですよね!

 

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中学校は?

中村選手が卒業された中学校は、四日市市立内部中学校という学校です。

 

引用元:http://www.yokkaichi.ed.jp/~utubechu/cms2/htdocs/index.php?key=jov3deoa1-219

 

四日市市立内部小学校と四日市市立内部東小学校に通っていた生徒が通う中学校とのことですので、中村選手が通われていた小学校は上記のどちらかということになりますね。

 

 

高校は?

高校は上野工業高校(現:伊賀白鳳高校)を卒業されています。

実は、上野工業高校から中村選手の自宅までは往復4時間かかるのだとか!

それでも中村選手は、あえてこの高校を選んだのだそうです。

 

というのも、上野工業高校陸上部は全国高等学校駅伝競走大会の常連校で、全国4位に輝いたこともあるほど。

もっと上を目指すためには上野工業高校しかないと考えたのでしょう。

 

そんな上野工業高校は現在、上野農業高校と上野商業高校の2校と統合し伊賀白鳳高校という名前に変わっています。

 

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/

 

中村選手は上野工業高校の最後の卒業生なのだそうですよ。

 

しろくま
私のイメージだとどうしても強豪校は私立がメインだと思っていたので、県立で全国常連って凄いなって素直に思いました。

 

 

大学は?

中村選手は高校卒業後、駒沢大学に進学されました。

学部は経済学部だそうです。

陸上部での成績は先程ご紹介した通りです。着実に力をつけていっていますよね!

 

大学卒業後は富士通に入社、陸上部に所属します。

ただ練習拠点は駒沢大学のままでした。

この話は次で詳しく書いていきたいと思います!

 

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中村匠吾と大八木監督との絆が泣ける!

 

中村選手は社会人になってからも駒沢大学の大八木監督の指導を受けながら練習してきました。

なぜ富士通陸上部の監督ではないのかというと、東京オリンピックの開催が決まった2013年(中村選手は当時大学3年生)、大八木監督が中村選手に対して「五輪まで本気で指導するからお前も本気で取り組め」と声をかけたそうです。

 

駒大3年だった2013年に東京五輪開催が決まった直後、駒大の大八木弘明監督の「五輪まで本気で指導するからお前も本気で取り組め」という言葉が胸を打った。「五輪まで7年しかない。信頼できる監督の下で環境を変えずに成長していきたい」と心を決めた。

引用元:https://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20190915/k00/00m/050/050000c.amp

 

大八木監督は自身の母校であり当時低迷していた駒沢大学陸上競技部を強豪校に復活させた名監督です。

中村選手が信頼しているというのも分かりますし、そんな監督から直々に本気で指導すると言われたら、中村選手は相当力が入ったのではないかと思います。

また大八木監督も中村選手の実力やセンスを買っていたからこそ、最後まで育てたいという思いに駆られたのでしょう。

そして先日おこなわれたMGCでの中村選手の走りと優勝ですよ。

中村選手も大八木監督も心底嬉しかったことと思います。

 

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さいごに

 

いかがだったでしょうか!

中村選手の今までの成績やここまでの道のりを少しでも知ることが出来たでしょうか。

私個人としては、中村選手と大八木監督の絆はもちろんですが、それ以上に二人の考えを尊重してくれた富士通の懐の深さにも感動しました。

 

東京オリンピックまで1年を切りました。

今回の内定はゴールではなく、あくまでもスタート地点に立てたといったところかと思います。

またここから厳しい練習の日々になるかと思いますが、悔いが残らないよう頑張ってもらいたいですね!

 

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